東京公園雑記ブログ

現在続けている東京23区の公園調査で見聞きしたいろいろをご紹介します。

2016年

12月09日

(金曜日)

ツメレンゲに蝶

ツメレンゲに蝶
ツメレンゲに蝶
ツメレンゲに蝶
ツメレンゲに蝶
現在では、何処ででも見られる植物ではなくなってしまったツメレンゲ。
シジミチョウの一種クロツバメシジミ(準絶滅危惧種)の主要な食草と言われている。
このツメレンゲに蝶が止まっていた。どうでもいいことだが蝶は「頭」と1頭・2頭・・・と数える。なぜそうした数え方をするのかはよく覚えていないが、それは間違いのないことなのである。
ツメレンゲに留まっていた蝶はクロツバメシジミと関係のあるシジミチョウの一派なのかどうかは全く知らない。子供の頃に住んでいたオンボロ長屋の住人たちが猫の額より狭い場所に植えている草花によくこのシジミチョウが止まっていて、わたしはそれをよく掴んでは羽根をむしり取り、ゴキブリのようにしてなぶり殺して遊んでいた。そんなシジミチョウの一派と同じなのか、それともただ単に偶然なのか、シジミチョウよりは随分と大きい蝶がそこに取りついていた。

この写真を撮ったのは11/13だから、秋もだいぶ押しつまった季節である。命からがらたどり着いた花が単にツメレンゲだったに過ぎないのかもしれない。それでも古のDNAでも感じているのだろうか。
人の記憶だって私の場合、とある匂いと深く結びついている。その一つは母親が大事にしていたジンチョウゲである。毎年、春になると花から強烈な香りを放つ。子供の頃のある日、母親に酷く叱られ、散々パラ殴られた仕返しにそのジンチョウゲをメチャクチャにしてやったら、今度は父親に殺されるかと思うぐらいにまた殴られた。子どもとしては随分と親から殴られた方だと思う。

だから今でも毎年、開花したジンチョウゲの花の香を胸いっぱいに吸い込むと、妙にざわついた気分になる。一言や二言では到底言い表せない、母親と父親に対する複雑な感情がこの香りと深くつながっている。そして今でもどうにもならないほど嫌になるのだ・・・。

2016年

12月08日

(木曜日)

稲穂と案山子

稲穂と案山子
稲穂と案山子
稲穂と案山子
稲穂と案山子
この写真は、その頃に里山型公園に行ったときに写したもの。まだ暑かった記憶がある。
案山子はスケアクロウとも言う。そんな地味極まりないアメリカ映画が若い頃にあった。この映画については過去に書いているのでもう何も書かない。そしてこの写真自体も写したことさえ忘れていた。しかし、この前、とある古い神社の裏側にある本当に粗末で薄暗い公園に行ったとき、あることを思い出したのだ。

それは藁人形である。それも我々が不吉とイメージするそのままに、釘で境内の端っこに立つ、細長い木の裏側に打ち付けられていた。

それは2度目の東京23区公園で練馬区の公園をいつものようにうろついていたときである。神社境内の一部が児童遊園に指定されている古いタイプの公園だった。確かサンゴジュの木の裏側の私の目線よりもやや低い位置にその藁人形は釘で打ち付けられていた。その藁人形は胴体と思える部分に赤いマジックのようなもので×印が付けられていてた。如何にも手作りのようなもので、大きさは手のひら程度あった。私は生まれて初めて本物の釘で打ち付けられた藁人形を見た。

恨み・憎しみはいつの時代にもみんなの心の中に潜んでいる。しかし大多数の人はそれを生殺しにして生きている。解決など出来やしないそしたものを腹の底に押し込んで、みんなへらへらと笑いながら生きている。社会とはたぶんそうしたものなのだろうし、それで良しなのだろう。正義ぶって解決しようなんて思うと、大きないざこざにになる。そう、みんな知っているから、ちゃんとした社会が出来上がっているのかもしれない。

今の時代、ただの藁を探すのも大変だし、藁人形などつくり方もしらない。試しに「藁人形の作り方」を検索したら、呪人形のつくり型などが出てきた。うる覚えだが、その時私の見た藁人形はかなり粗雑なつくりだったように思う。しかし粗雑だったからこそ、それをつくり釘刺しにした人間の恨み・つらみの深さが感じられた記憶がある。

どうせ手作りするなら、鯉のぼりあたりのほうが良いに決まっているが、どうにもそうならない人々もまたたくさんこの社会には生きているのだろう・・・。

2016年

12月07日

(水曜日)

カリン

カリン
カリン
カリンの実が色づいている。場所によっては既に落下している。こうなると、もう誰も振り向いてくれない。
カリンにとって、カリンらしい姿は枝にやたらと重たい実が鈴なりになっている状態こそ、みんなに振り向かれる華やかな姿なのだ。

「カリンの季節」なんて言葉はあるのだろうかと、考えたがどうにも思い当たらない。自分も使ったことはない。しかし私には、それらしい時期がほんの僅かにあるような気がしてならない。それはソメイヨシノの花が花筏のように流れ去り、青葉が目に映える季節になり、みんなが何故かほんの僅かに無念さを滲ませ、まだ硬い蕾の八重桜に思いを寄せる僅かな期間、ソメイヨシノよりほんの僅かに濃い桃色をした小さな花がポツンポツンと咲くのが、カリンの花なのだ。
何故か日本人はソメイヨシノに思いが深すぎるせいか、そうした花に気付くこともない。だいたい大きめの桜の木に比べるとカリンの木はそれほど大きくない。半世紀以上カリンの花を見ているが、その周りで「花見」をしている人などまずいない。そして何よりも悲しいのは、そのすぐ後にハナカイドウがやはり濃い桃色の花をいっぱい咲かす。カリンの花とハナカイドウの花はどこか似ている。似ていて、花の数がハナカイドウのほうが圧倒的に多い。

そしてそのすぐ後に巨人の八重桜が大輪の花を咲かせ、花びらを札びらのようにばら撒く。他人はみな幸せに、そして裕福になりたいからなのか、早々と散ってしまったソメイヨシノの敵を討つかのように巷をざわつかせる。

そうした季節は残念かどうか知らないが、まだまだずっと先・・・。
撮影日:平成28年12月4日

2016年

12月06日

(火曜日)

ミヤマシキミ

ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミはミカン科ミヤマシキミ属の木本植物。
またミカン属には美味しい各種のミカンが含まれるが、ミヤマシキミ属で言うなら、日本ではミヤマシキミ1種のみが確認されている。問題は食べられるかどうかだが、有毒と言われる。そう言われるから、当然のごとく食べたことはない。齧ったこともない。ミカン科の果実なのに食べられないのは残念で、また所謂「ミカン」とは全く似ていない。こちらは真っ赤に色づく。
葉っぱは有毒植物として知られているシキミに似ているが、ミヤマシキミとシキミは全くの別種で、有毒植物と言うのが似ているだけです。

木の実には有毒そして猛毒のものがいっぱいある。何でも甘いからと口にしてしまうのは、無知以外の何者でもない。きちんと理解できないものは決して食べてはいけない。

そうそう、花期は春です。
撮影日:平成28年12月4日

2016年

12月05日

(月曜日)

タンポポ

タンポポ
タンポポ
小さな公園の片隅で、タンポポが1輪咲いていた。
因みに、近所の公園ではニホンスイセンが数輪咲き始めている。
もしこの2種類の花が同時に群生していれば、それは間違いなく春の訪れだろう。しかし誰でも分かる通り、まだまだそんな季節には程遠い。真冬が始まったばかりだ。それでも隙あらばと植物は咲く。その一例がこのセイヨウタンポポだ。関東タンポポを含む日本在来のタンポポはこうした季節に咲くことはない。それでも「タンポポ」を見れば春の訪れを感じてしまうのは、花と季節が密接に結びついている証だろう。真っ赤なポインセチアを見れば、恋人がいなくともクリスマスを感じ、イルミネイションにぶつかれば決してただの豆電球の大群とは思わない。

私は里山に度々行くが、野菊の季節が終わって里山も急に寂しくなった。これからは野焼きの煙だけが目に染みる。
紅葉にはあまり興味がないが、今年はとある場所でノコンギクが咲き誇る小さくてうらぶれた墓地と出会った。今年の私のベストワンをあげれば、このこと以外にない。やっぱり「野菊の墓」はノコンギクである。

そうそう、今年も暮れまではあと僅かになってきた。大晦日前には里山にフクジュソウの写真を撮りに行く。毎年写真を撮らせてもらっている民家(農家)の敷地には何故か早くフクジュソウが群生する。そしてほぼ2回に1回は庭先で家族の方々と思われる幾人もの人々が餅つきをしている賑やかな風景に出会う。
それを横目で見ながら、フクジュソウの柔らかい花色の写真をいっぱい撮る。そのとき、そっちのほうからお米を炊き上げた素敵な香りが風に乗ってこちらに漂ってくる。

仕方ないので、こちらは寒さに肩を丸めて、寂しくて薄暗い林道の中をとことこ歩いていく・・・。
撮影日:平成28年12月4日


2016年

12月04日

(日曜日)

モクレン

モクレン
モクレン
モクレン
モクレン
モクレンの冬芽が大きくなっている。春の音連れと共に大輪を開花させるが、今はまだグッと我慢の季節だ。
コブシの冬芽を大きくなりつつあったし、昨日写したトチノキの蕾も立派な冬芽を伸ばしていた。しかここちらはどちらも全てピンボケ。本当に嫌になる。長い間コンパクトカメラで写真を撮っているので、どうしてピンボケになるのか、そしてどうすればそれを防げるのかぐらいのことは分かっているつもりだが、いざとなるとそれが上手くいかない。思い返せばずーっとそうだった。

受験はほぼ全滅で、辛うじて裏口入学と補欠で世間に出だが、就職先探しでも失敗の連続で、入社した会社もまた自分には全く合わなかった。このまま社会に馴染めないで一生を終わるのだろうかと思っていた頃、子供の頃から好きだった公園に久しぶりに行き、そこから東京23区の公園調査と言う誰も考えなかったことを無謀にも思いつき、何故かやり遂げてしまった。だからと言って、それがそのまま仕事に直接結びつくことはなかったし、しなかった。しかし世間とは不思議なもので、何かの縁で、公園とは全く外れてもいない今の仕事を私自身でつくりだし、現在に至っている。だからと言って「楽しい家族」を持てた訳でもなく、やはり人生設計には失敗を繰り返している。スタートを間違えると、その後の負担は倍々ゲームで増え続ける。何かの間違いでもなければ、それをひっくり返すことなど無理なのかもしれない。そんなところであたふたすると、犯罪に巻き込まれたり、取り返しのつかないことになる。

私は辛うじて留まっているが、決して幸せでもない。屋根に上って叫んでみても、海でくたくたになるまで泳いでも、何も変わらない。今年もまたそうした1年が終わろうとしている・・・。
撮影日:平成28年12月4日

2016年

12月03日

(土曜日)

サネカズラ

サネカズラ
サネカズラ
サネカズラはマツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本植物。
この季節、真っ赤に色づくが、センリヨウなどとは違い、実の付き方が面白い。集合果と言うものらしい。
もう10年ほど前になるだろうか、よく行く里山の山の入り口辺りにある民家の塀の一部に、この真っ赤な集合果を見つけていた。2.3年前から知っていて、今度見つけたら齧ってみようと思っていた。

サネカズラのことはネットで調べていたが、何処をどう調べても「食べられる」とか「有毒」とかは記されていない。
その年も、とある民家の塀に2つ3つの真っ赤に色づいた集合果を付けていた。黙って一つを採って、端っこを口に入れた。僅かに酸味がある。しかし苦味も甘味も全くない。要はほぼ味がないのだ。これでは誰も齧らないだろうと思う。そして、現在に至ってまで、これによって私は死んでいないので、猛毒と言うこともないようだ。

先輩からも教えられず、ものの本にも詳しく書かれていない果実を齧るときの気分は何とも言えない。有毒或は猛毒植物のほとんどは、キノコ類などの菌類を除くとほぼ知られている。あとは外国から突然入ってきたものの氏素性が問題なだけ。それでも私は詳しくはない果実や木の実は齧るだけで、決して食べたりはしない。
その程度の常識は持ち合わせている。
撮影日:平成28年12月3日

2016年

12月02日

(金曜日)

補修された小遊具群

補修された小遊具群
補修された小遊具群
公園遊具は消耗品なのか、それとも備品なのか、或は耐久消費財なのだろうか・・・。
どれにしろ、毎日雨ざらしの状態の中に置かれているから当然消耗する。悪ガキどもに壊されることだってあるし、見れば分かる錆だって浮く。そうなれば直すか、撤去する。私の家のものように何でもかんでもガムテープでぐるぐる巻きにすれは良いと言うものではない。確かにとりあえずしぐるぐる巻きも見ることはあるが、いつまでももつわけではない。

公園施設(遊具含む)の点検のアシスタントをして分かったことだが、日本のインフラ同様に公園遊具もメチャクチャ傷んでいる。
「公園とは何だ」、「公園とはどうあるべきだ」と言った問題を安易に遊具と結び付け、遊具の墓場のようにした公園づくりで都市部の公園はその数を増殖させてきた。それは公園などと言う概念が全くなかった日本に、それを根付かせるためには手っ取り早い方法だったかもしれないが、当然時代の変化と共にそうした考え方は大きく変わった。当然を毎度毎度新品に取り換える訳にもいかないから、点検と言うことになる。しかし多くの公園を抱える自治体は長い間、新しい公園をどんどん造ることばかりに頭を使った。それは首長選挙には有利だし、公共事業の側面もある。しかし子供が減り、遊具を詰め込んだ公園の安全性が担保できなくなるに至って、やっと一部で公園施設の点検が脚光を浴びることになりりつつある。私個人の公園調査がそうした環境をほんの一部で後押しをした可能性はあると生意気ながら思っている。

2016年

12月01日

(木曜日)

晩秋から冬へ

晩秋から冬へ
晩秋から冬へ
都内の公園でこの写真を撮ったのは11月27日の日曜日。まだ11月なので暦的には秋である。しかし街も公園も実質的には冬。私の行く公園にイルミネイションなど何処を見渡してもないが、懐具合だけは一人前に寒い冬。
みなさんは年末になるといろいろやることがあって忙しいだろうが、私には何もない。洗剤やトイレットペーパーなどを少し多めに買い込む。そうそう100円均で雑巾も買う。これだって以前は、この一年間使い古したタオルを手縫いで一枚一枚雑巾にした。私は雑巾を縫うのが趣味だったが、ある時100均で買う方が全然楽なのを知ってしまった。唯一の密かな楽しみもそうやって手放してしまった。しかし今年は、使い古したタオルが20枚ぐらい溜まってしまったので、久しぶりにやってみようと思って、今からドキドキしている。老眼も酷くなり、針にちゃんと糸を通す自信は全然ないのだが・・・。

他にやることはと考えていたら一つだけあった。それは12月末に里山に行って、フクジュソウやら、フユイチゴやら、セリとクレソンやらの写真を撮ることもしないといけない。しかしたったこれしかやることがない。賀状ももう30枚も書かないし、床屋にも行かない。パンツやシャツを新しくすることもないし・・・カレンダーはもう買った。
本当はもう少し運動をしたいのだが、持病がどんどん悪くなっている。この先が恐ろしいほどだ・・・。

それでも木枯らしの吹く中、誰もいない公園の片隅で、買ったばかりのサッカー元日本代表監督イビチャ・オシム氏の著書「急いてはいけない」なんかを読むに違いない。私はオシム氏のサッカー哲学は大好きなのだ。もう少し長い間日本代表監督を続けて頂いたら、今とはもう少し違う日本代表チームになっていたように思う。しかしこれも神様・仏様の思し召しだろう。

私も、そう遠くない間に病に倒れるのだろうか・・・。
撮影日:平成28年11月27日

2016年

11月30日

(水曜日)

カラフルベンチ

カラフルベンチ
カラフルベンチ
カラフルベンチ
カラフルベンチ
遊具広場に設置されていたベンチ。元々は無地のベンチだったものをイベントのような何かで、このようにペイントをした。そんなふうに感じ取れた。
公園施設の外壁にペイントするアクションはいろいろ見かけている。多いのはトイレの外壁をペイントするもの。最初の公園調査のとき、とある区が美術学校の学生にトイレ外壁にペイントする行事を行っていた。いくつかそうしたものを見たが、大して関心を抱くものなかった。遊具を全体としてペイントするのも見ている。これも公園利用者と共に行われていた。また公園を囲む塀の一部に初期の算数を図解入りで説明していたり、俳句のようなものが大きく記されたものもあった。

確かに犯罪である器物破損の落書きとは明らかに違うが、目を見張るようなものは見当たらなかった。
そうそう、下町地区の親水公園の壁には公募に応募した人々によって大きく描かれた絵が数十点、展示公開されていたりもしたが、もうだいぶ色が剥げて十分に汚かった。

公園調査時は調査シートに必要事項をいろい記入しなければならなかっので、ベンチにはよく座った。しかしそれから解放された今はあまりベンチには座らない。別段深い意味はないのだが、ぼんやりと歩いていることが多い。元々そんなに用事があって公園へ行くわけでもないので、大体は犬の糞を踏みつぶし、嫌な思いをして帰ってくる。

そうそう、2度目の公園調査のとき、とある公園で、「長居をしてほしくないベンチ」を初めて見て、ほんの少し驚いた程度だ。

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東京公園雑記管理人

  • Author:東京公園雑記管理人
  • 公園情報センターのブログ「東京公園雑記」です。
    現在、おこなっている東京23区公園全データ・最新版における調査で、見聞きするいろいろを書きます。
    暑いときは熱い話を、寒いときは冷静な話などを書いていければと思います。写真は全てに添付します。
    ご期待ください。

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