東京公園雑記ブログ

現在続けている東京23区の公園調査で見聞きしたいろいろをご紹介します。

2017年

01月19日

(木曜日)

ハボタン

ハボタン
ハボタン
本来のハボタンはこんな風になり、野性味があってすこぶる良い。
アブラナ科の植物でもあるので、春になると所謂「菜の花」に似た花を咲かす。これも中々良い。私は一度それを齧ったこともあるが、菜の花同様に苦い。そしてはっきり言わせて頂くと不味い。これにもそれなりに満足だ。

そうそう、若い頃は河川敷に生えていた「菜の花」もよく摘んで食べた。ただ湯がいてマヨネーズをかけた食べたが、辛いだけで美味しくなかった。今ではあれは一般的な「菜の花」ではなく、カラシナと言われるものだったようだ。

どちらにしろ、これからは菜の花や菜の花風の花々が目立つ季節を迎える。確か、毎年2月あたりに入ると、神奈川県松田町の河津桜と菜の花が美しくコラボした風景がニュース等で流される。そうした季節がすぐそこまでやって来ている。

こんな拙い文章を綴っていると、今年は何故か数年ぶりに所謂菜の花たちを齧ってみたい気分になってきた・・・。
撮影日:平成29年1月15日

2017年

01月18日

(水曜日)

ボタン

ボタン
ボタン
ボタン
ボタンの冬芽です。まだ固く閉じたままです。
しかし所謂「ボタンの名所」のいくつかでは、藁囲いをされたボタンの花をもう見ることができます。
牡丹には二期咲き(早春と初冬)の性質を持つ品種があり、このうち冬咲きのものが寒牡丹と呼ばれます。お正月の縁起花として開花させたものがさせたものが「寒牡丹」です。しかし本当にそうなのだろうか。手練手管を駆使して無理やり咲かせているのではないでしょうか。そうでなければ、この季節もっとあちこちでボタンの花が咲いている筈です。こうしたボタンの花を見られるのは、およそボタンの名所などと呼ばれている有料施設ばかりで、私は花を見るためにお金を払うことは賛成しかねる。そんなふうに思っていたら、「冬牡丹」と言うのもあるらしいことがわかった。
その違いを簡単に説明すると、以下のようになる。
寒牡丹は二季咲き性の品種で、6月頃にできたつぼみを切り、8月に葉を切って、秋に2回目のつぼみを出させます。
一方、冬牡丹は、春咲きの品種を促成栽培して冬に咲かせたものです。
また、品種ではなく開花・観賞時期によって分類する場合もあり、寒の時期、つまり二十四節気の、小寒から立春の前日までの約30日間に咲いているものを寒牡丹、それ以外の冬期に咲いているものを冬牡丹とする分け方です。
どちらにしろ、命の改ざんであることはいがめない。

そうまでして、この季節に大輪の花を見たい欲望は「園芸種」と称して、真冬に咲くカラフルな草花を大量に巷に放出している季節を弁えないバカ者どもの守銭奴姿勢だ。

花は咲くときに咲けばいいので、見過ごしたら翌年まで楽しみに待てばいいだけのことである。
撮影日:平成29年1月14日

2017年

01月17日

(火曜日)

シモバシラの霜柱

シモバシラの霜柱
シモバシラの霜柱
シモバシラの霜柱
シモバシラの霜柱
今季最強の寒波が押し寄せた初日の土曜日、このシモバシラの霜柱写真を撮ってきた。私と同様の趣味を持つご夫婦がすぐ脇で写真を撮っている。少しだけお話を聞くと、「この写真を撮りに来た」と言う。己を含め、本当にご苦労さんである。

私にとって、今季2度目のシモバシラの霜柱写真。強烈な寒さで、もっと大きなモノがあるかと思って来たが、必ずしもそうではなく、大きなのもあれば小さなものもあった。たぶんそれが正しいシモバシラなのでしょう。
因みに、上の2枚の写真のシモバシラの霜柱が一番大きかったです。
撮影日:平成29年1月14日

2017年

01月16日

(月曜日)

池に氷

池に氷
池に氷
池に氷
公園調査をしていた当時はそれなりに池に氷が張るのを見ていた。小さな公園だと1日当たり10ヶ所程度回らないと、調査が進まないからだ。それは当然のごとく朝早く出かけることになり、そうすると池やせせらぎの一部に氷が張っている。それは見るだけだが、区立の「憩いの森」では霜柱が立っている。子供の頃と同様によく踏みつぶして歩いた。当時から出来の悪い奴らはこの「霜柱潰し」がみんな大好きで、自分が霜柱潰しが好きだった思い出のある人はほぼ落ちこぼれである。しかし大人になると、みんなそんなことは忘れる。しかしひょんなことからそうした場面に出くわすと、突然浮き浮きする。そして己が出来の悪子どもだったことを少しだけ悔いる。しかしみんな今は大人かジジイーである。目を瞑っていれば、そんなことは誰にも分からない。ざまーみろだ。

この氷は池全面に張っていた。今年初めて見る氷だった。それほど今年の寒波は大きい。ここ数年は里山に行かなければ氷を見ることはなかった。今日も朝早くから起きて仕事をしているが、加湿温風ストーブをいくら「強」にしても室温が20度まで上がらず、ずっと寒い中で仕事をしていた。20度を超えたのは9時を回ってからだ。
撮影日:平成29年1月14日

2017年

01月15日

(日曜日)

セイヨウタンポポ

セイヨウタンポポ
セイヨウタンポポ
東京も昨日に引き続き寒い。底冷えがする。こうした時は気の持ちようが大事だと思うが、そうなる要素が何一つない。ただ一つ私に出来ることがあるとすれば、それはフカフカのダウンコートを着るぐらいで、暖房の利いた地下鉄の車両の端っこで縮まっているぐらいしか出来ることはない。それでも野ざらしの公園へ行けば少しは元気になるが、行き慣れ過ぎているせいか、感動というものが全くと言っていいほどない。公園に行くことが感動的であることなど、飼い犬以外にない。ドッグランでは犬たちが駆け回っている。しゃがみこんだまま動かない犬もいる。老犬なのだろうか。私は色つやも悪く、体形も崩れた婆さんのような老犬も好き。生き物に愛嬌などいらないのだ。

ギンヨウアカシアの蕾が黄色く色づきを増していた。写真を撮る。フッと地べたを見るとタンポポが縮こまって咲いていた、たった1輪だけ。1輪だけと言うのが、寒さの過酷さを表している気がする。去年の今頃はもっと咲いていた。新年2日に行った里山でも確か1輪だけ咲いていたタンポポを見た。タンポポの花は誰でもが知っている通り黄色い。早春を代表する里山の植物フクジュソウも黄色い。しかしこの2つの植物の黄色には決定的な違いがある。それはその鮮やかさと艶である。フクジュソウは過酷な冬を打ち破る艶っぽさがあり、全体として妙に輝いている。これから戦場に打って出る勇気みたいなものがあるが、このセイヨウタンポポには「ぼく、間違えちゃった」と、ひ弱な後悔が見て取れる。だから縮こまっているしかやることがないのかもしれない。しかしどこか出しゃばっているかのように冬焼けした周辺の雑草をあざ笑って、新緑をさらけ出している。それに比べると、フクジュソウには、これから天下を取るといった男のやせ我慢を感じることが出来る。やせ我慢だから、所詮どこかへっぴり腰の雰囲気も残るが、ここが勝負時といったこだわりも見える。

どちらにしても、春はまだまだ遠い。少数精鋭主義で野山の王者になれるか、それとも日本乗っ取り計画を着実に進めているセイヨウタンポポの姑息さが上回るか、とっくに闇の闘いは開始されている。
撮影日:平成29年1月15日

2017年

01月14日

(土曜日)

シモバシラの霜柱

シモバシラの霜柱
シモバシラの霜柱
シモバシラの霜柱
今日は寒い、そして明日はもっと寒いと言う。東京は雪こそ降っていないが、どんよりと曇った空が寒さをより一層哀れのような情けなさを感じさせる。抵抗できるのは服をいっぱい着ることだが、そんなにしてまで公園へ行く意味はあるのだろうか。それも私のよく知っている寒い公園はどこだろうか、なんて考えながら冷え切った水で歯を磨くのはぜんぜん楽しくない。
寒さで楽しいことと言えば、それは池の氷とシモバシラの霜柱ぐらいしかない。池の氷については後日書くので、今日はシモバシラの霜柱についてだ。

去年の12月のある日、突如として寒くなった週末、シモバシラの生える公園に行った。思っていた通り、シモバシラに霜柱が付いていた。そう思って来たので、やはり嬉しい。嬉しくても寒かった。だから嬉しさも40%OFFと言った感じ。それに比べると、今日のシモバシラの霜柱は妙な覚悟でもってやって来たので、大きめのシモバシラの霜柱が付いていないとがっくりする。まだ午前の9時前なのできちんと霜柱は付いている。しかしどれもが大きい霜柱ではなく、前回同様、中くらいのも、小さいのもある。自然とは間違いなくそう出来ていて、決してわしらの思い込みの通りにはならない。何年生きてきても、その通りなのだ。
いつだったか、シモバシラの霜柱の写真を撮っていた男性が、溶けかかったシモバシラの霜柱も乙なんですがねぇーと言っていたが、私はまだそうした気分にはなれない。あくまでもカチカチに付いている霜柱がいい。

因みに、シモバシラなる植物は見た目上は枯れているが、そう見える茎の中は枯れておらず生きている。だから水分を吸い上げ、霜柱が出来る。見かけと中身の違う奴はいっぱいる。そうした輩のほうがたぶん圧倒的に多い筈だ。私もそちらに入る。しかしどう見ても、見かけより中身のほうが上でもないし、中身より見かけのほうが上でもない。別に均衡がとれているのではなく、どちらもただ単に標準点以下。それでも中身のない分、頑張る。しかし中身がないから、頑張ることが空回りしたり、上滑りしたりする。それでも一所懸命頑張る。頑張るしか知らないから中身がないと言われる。そんな人ももまた私以外にいっぱいいるような気がしている・・・。頑張るのを止めたら、人はどうなるのだろうか・・・分かっているようで分からない。どうにもはっきりしない・・・。
撮影日:平成29年1月14日

2017年

01月13日

(金曜日)

オッタチカタバミ

オッタチカタバミ
オッタチカタバミ
オッタチカタバミ
所謂「カタバミ」は葉っぱがクローバーに似ている。間違える人もいるかもしれない。
ここ20年ぐらい、写真のこの植物が都市部の空き地などでもよくよく見られるようになった。極寒の今頃から春先にかけ、日当たりの良い場所で群生する。名前を「オッタチカタバミ」と言い、所謂「カタバミ」の仲間で原産地北アメリカからの帰化植物である。
しかしオッタチとはどこか意図的で、あまり素敵な名前とは思えない。
カタバミの茎が地表を這うのに対し、地下茎は水平に伸びるものの、そこから地上茎が縦に立つため、この和名が付いたようだが、どこか卑猥でもある。植物名には相当いかれたモノもあるが、これもその範疇に入るのではないだろうか。どちらにしろ、花の少ないこの季節に咲くのだから、小さな昆虫たちには喜ばれているかもしれない。人は喜ばなくても昆虫たちが生きていけるものであれば、植物としての価値は十分あると思う。他人が銭金の為だけに寒さに強く、ド派手な草花を「園芸種」と称して、大量に作り出すなら、帰化植物でも私はそれなりに歓迎する。クローバーも公園などに行かないと見れなくなっているので、オッタチカタバミからクローバーの素敵さを感じ取ってくれれば、それはそれで良いのではないだろうか・・・。
そう思う、真冬です。
撮影日:平成29年1月7日

2017年

01月12日

(木曜日)

ご近所のフクジュソウ

ご近所のフクジュソウ
ご近所のフクジュソウ
新年早々、とある里山で開花したばかりのフクジュソウ写真を撮りに行き、ピンボケ気味だが「木の花ブログ」へアップしている。

その前日、私の住むオンボロアパートから1.2分の場所にある古めの以前は何か飲食店のような民家の畳1帖分もなさそうな外付けの小さな庭に、このフクジュソウの新芽が顔を覗かせていた。使い古した鉢などが放置された脇に寒さに震えながら顔を見せていたのだ。
去年、偶然そこに数輪のフクジュソウが咲いているのを見た。雨に濡れ、泥が付いていたが、それは見るからに野草の面影が色濃くあり、全くと言っていいほどその場に似合っていなかった。たぶんフクジュカイと言われるフクジュソウの中では古くから品種改良された種だろうが、その古びた何を商っていたいたか分からない店の雰囲気づくりには役に立っていただのだろうか。

この冬は本当に寒い。去年の12月中旬ごろ、突如として寒くなった日、早起きして寒い公園へシモバシラの霜柱の写真を撮りに行った。このブログでもアップしている。明日土曜日の朝も0度近くになると聞いているので、もう一度シモバシラの霜柱写真を撮りに行こうと思っている。しかしもそんなことの為だけに早起きするのはかなりの根性がいる。そんななものとは無縁に生きてきた身としてはかなり厳しい決断なので、実行できる確信はない。ないが行く。ここにアップする手持ちの写真がないこともあるが、これだけ寒ければ、あんがい大きなシモバシラも見られる期待もある。根性にも自信はないし、期待されることなど過去に一度もないが、頑張る。今はそれしか言えない・・・。
撮影日:平成29年1月6日

2017年

01月11日

(水曜日)

マユミ

マユミ
マユミはニシキギ科ニシキギ属で、別名をヤマニシキギと言う。近縁種のツリバナによく似ています。
里山で見たこの木には実がまだ付いていました。都内の公園等で見るマユミもツリバナもとっくに実を落としています、秋の終焉と共に。因みにツリバナのほうがいち早く色づき、マユミはそれに続きます。

そう、今日は何を言いたいかと言うと、このマユミは実は時間の経過とともに白っぽく色が剥げてきます。それはコムラサキシキブの実もムラサキシキブの実もそうです。決して白実のコムラサキではありません。あの鮮やかな色合いの実が加齢と共に白っぽくやつれてきます。同様のことは美しい花色のハギも白っぽくなります。白花のハギはただ枯れるだけ。
何故、色が剥げる、或は色がとぶのでしょうか。色とは本来そうした運命を持っているのでしょうか。私の髪の毛をほぼ白くなった。だからどうと言うこともないのだが、色白だった肌もくすみ、老人斑も浮きで、瞼も下がり逆さまつげで時々目を痛め、身長は年追うごとに縮まり、足の踵はひび割れするようになった。いろいろ気を付けているがどうにもならない。

色みを落としつつあるマユミの実を見て、少し可哀想な気もするが、そうやって自然に帰るマユミは私よりずっと正直者で美しいような気もする。それに比べると、少しだけ正直で皺だらの私は随分と恵まれていないような気もしなくもない新年の里山行でした・・・。
撮影日:平成29年1月2日

2017年

01月10日

(火曜日)

カリン

カリン
カリン
カリンについては今シーズン何度も記した。私の文章だから当然のごとく胸にグッと詰まるようなことは何一つ書いていないが、それはそれとして、こうした廃棄なされ方を見ると、当然のごとく怒る。この果実について大した知識もなければ、利用方法としの知恵もないが、持ち主はなぜ利用法を考えないのだろうか。もしどうしても使い道がないのなら、欲しがっているいる人もいるので、どうしてそうした人々に差し上げないのだろうか。

ここ10年かそこいらぐらいだろうが、ご家庭などで使い道のない食器やその他諸々のモノを玄関先に段ボール箱に入れて「ご自由にお持ち帰りください」と記されていることをよく見かけるようになった。新品のものもあれば、使い年古したものもあるが、誰かに利用されるものがあれば当然喜ぶ人々もいる。庭で獲れた食べきれない果実をそうしてあるのも見たことがあるし、小ぶりの樹木まであった。このお正月前は黄色いセンリョウの実までそうなっていた。多少は流行の傾向もあるのかもしれない。

もう随分と昔になるが、とある里山で知人の老人が鈴虫を毎年世話し、秋になると自宅前で通行人などに増えた鈴虫を無料で差し上げていた。理由は「鈴虫の鳴き声が素敵だから・・・」と。たったそれだけの理由で毎年毎年大切に育てた鈴虫を見も知らぬ人々に差し上げる。お礼を言う人もいれば、黙ってもらっていく人々もいると爺さんは言っていた。私も黙ってもらっていった一人である。

その爺さんが亡くなったと言うので、告別式に参加させてもらって驚いたことがある。なんとメチャクチャ多い参列者がおり、式場は超満員だった。子どもを若くして無くした年老いた奥様はずーっと泣いていた。とても良い葬儀だった・・・。
撮影日:平成29年1月2日

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 プロフィール 

東京公園雑記管理人

  • Author:東京公園雑記管理人
  • 公園情報センターのブログ「東京公園雑記」です。
    現在、おこなっている東京23区公園全データ・最新版における調査で、見聞きするいろいろを書きます。
    暑いときは熱い話を、寒いときは冷静な話などを書いていければと思います。写真は全てに添付します。
    ご期待ください。

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